
神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。
原文
光親卿、院の最勝講奉行してさぶらひけるを、御前へ召されて供御を出されて食はせられけり。さて食ひちらしたる衝重を御簾の中へさし入れて罷り出でにけり。女房、あなきたな、誰にとれとてか、など申しあはれければ、有職のふるまひ、やんごとなきことなりと返すがへす感ぜさせ給ひけるとぞ。
翻訳
光親卿が、後鳥羽院の最勝講に奉行としてお勤めになられた折のこと、ねぎらいを兼ね院がお召しになり、出していただいた御膳をありがたくお召し上りになった。食べ終わると、食い散らかしたまま、御膳を御簾の内にすすっと差し入れて退出してしまった。その後、呆れた女官たちが、なんて汚いの!これを誰に片付けろと云うのかしら、などと口々に謗りあっていたところ、当の後鳥羽院は、さすがは有職に通じた者のふるまい、見上げたものじゃ、とかえすがえすも感じ入っておられたという。
註釈
○最勝講
最勝講を講じて天下泰平を祈る宮中行事。
○光親卿
藤原光親。権中納言。学識に優れ、後鳥羽院の寵愛を受けるが、承久の乱の際に倒幕の院宣を書いたかどで斬首される。
○供御
ぐご。もしくは、くご。天皇、皇后、上皇、皇子の食物の敬称。
この段ねー、いくら調べても光親の振る舞いがいかなる有職故事にのっとっているのか、今ひとつ不明なんですよ。
光親は当然無礼を承知で喰い散らかし、それをわざわざ院のおわします御簾の中に差し入れたわけで、私はこんな野蛮な不調法者なんですよ、という芝居をしているわけです。しかも、(おそらく)支那の故事にある、無作法者の忠臣の食べ残しを悦んで片付けた皇帝の話は、もちろん院はご存じでらっしゃいますよね?と暗にアイコンタクトしているわけです。
どう見ても諛(へつら)ってますよね。阿(おもね)りですよ。
こゆこういう奴いますけどね。わかる者にしかわからない隠語や専門用語や楽屋落ちエピソードを駆使してこそこそ話をしてはにやにやしてる奴。
私は大の後鳥羽院贔屓ですから、悪口は極力云いたくないんですが、こういうイケズなお取り巻きに囲まれていた院が、お気の毒でなりません。
末尾の「とぞ」、……て話ですよ、という冷めた調子からも、兼好法師もたぶん近い感慨を抱いていたんじゃないでしょうか。
そう読むと、承久の乱の暗部が垣間見えるような気もしますね。