【徒然草 現代語訳】第六十九段


神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。

原文

書写の上人は、法華読誦の功積もりて、六根浄にかなへる人なりけり。旅のかりやに立ち入られけるに、豆のからをたきて豆を煮ける音のつぶつぶと鳴るを聞き給ひければ、うとからぬおのれらしも、うらめしく我をば煮て、からきめを見するものかなといひけり。たかるるまめがらのはらはらと鳴る音は、わが心よりすることかは。焼かるるはいかばかり堪へがたけれども、力なきことなり。かくな恨み給ひそとぞ聞えける。

翻訳

書写山円教寺の性空上人は、長年法華経を読み込んだ功徳が積もって、迷いを断ち切った六根清浄の境地に達したお方であったそうだ。旅の途中、宿にお泊まりになられた折、豆殻を火に焼べ豆を煮る音がつぶつぶと鳴っているのを耳にされ、身内のはずの豆殻よ、他ならぬお前たちまでもがこうして我等を煮て辛い目に遭わせるとはなぁ、ああ恨めしい、と聞こえたのだそうな。続いて焚かれている豆殻がはらはらと鳴る音が、こんなことをするのは不本意に決まっておろう、我が身が焼かれるのがどれほど耐え難いことかお前に解るか?されどこれも己の力の及ばぬゆえ。そう恨みに思いなさんな、と聞こえたらしい。

註釈

○書写の上人
性空(しょうくう)。十世紀末の人。俗名橘善行。
和泉式部の導師としても名高い。和泉式部は臨終に際し、暗きより暗き道にぞ入りぬべき遥かに照らせ山の端の月、と詠んで性空上人に贈り、その返しに袈裟を頂戴してそれを纏い成仏したと云われる。

○六根浄
ろっこんじょう。人を迷わす六つの根っこ、目、耳、鼻、舌、身、意のすべてが浄められた状態。


しみじみと胸に沁みるよい段です。
私は歌人では和泉式部と源実朝をおおいに贔屓にしていますから、こんなエクセレントな方に導かれて浄土へと旅立った和泉式部を、改めて寿ぐ気持ちになります。

功徳を積んで高みに達したというのは無論のこと、仏の道を極める人の中には、宗教的絶対音感、あらゆる音が仏さまのお言葉に聞こえるという才を持ち合わせている方がいらっしゃるんでしょうね。


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