【徒然草 現代語訳】第七十一段


神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。

原文

名を聞くより、やがて面影はおしはからるる心地するを、見る時は、またかねて思ひつるままの顔したる人こそなけれ。昔物語を聞きても、この頃の人の家のそこほどにてぞありけんと覚え、人も、今見る人の中に思ひよそへらるるは、誰もかく覚ゆるにや。
また、如何なる折ぞ、ただいま人のいふ事も、目に見ゆる物も、わが心のうちも、かかることのいつぞやありしかと覚えて、いつとは思ひ出でねども、まさしくありし心地のするは、我ばかりかく思ふにや。

翻訳

名前を聞くとすぐさまその人の容貌が浮かぶ気がするが、ひと度相見えるや、たいてい、あれれ?この人こんな顔だったっけとなる、思い描いていた通りの顔であることはまずない。昔の物語が読まれるのを聞いていても、今のあの人ん家のあのあたりだろうなと想像がつき、登場人物も、まだ存命のあの人かもとついなぞらえ被せてしまうのは、誰しも同じ心の動きなんだろうか。
また、何かの折、目の前の人が喋っていることも、この目に映るものも、はたまた自分の心情までもが、ああ、こういうのかつてあったな感じたな、と思い起こされ、いつだったかははっきりとしないけれど、紛れもなくあったことと確信できるのは、私だけの感覚なのかしらん。

註釈



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