【徒然草 現代語訳】第七十五段


神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。

原文

つれづれわぶる人は、いかなる心ならむ。まぎるるかたなく、ただひとりあるのみこそよけれ。
世に従へば、心、外の塵に奪はれてまどひやすく、人にまじはれば、言葉よその聞きに従ひて、さながら心にあらず。人に戯れ、物に争ひ、一度は怨み、一度は喜ぶ。そのこと定まれることなし。分別みだりにおこりて、得失やむ時なし。まどひの上に酔へり。酔の中に夢をなす。走りていそがはしく、ほれて忘れたる事、人皆かくのごとし。
いまだ誠の道を知らずとも、縁をはなれて身を閑かにし、ことにあづからずして心をやすくせむこそ、暫く楽しぶともいひつべけれ。生活、人事、伎能、学問等の諸縁をやめよとこそ、摩訶止観にも侍れ。

翻訳

所在なくただ漫然と送る日々を嘆く人、その気持ちはちょっと理解出来ない。誰にも邪魔されず、独り居ることこそ何物にも替えがたいものなのに。
世間に同調しようとすれば、心は外界の塵にまみれ惑いがちになり、社交にいそしめば、人がどう思うかばかりに気をとられ、安定した精神状態を保てなくなる。人とじゃれ合い、何事につけても他人とやり合い、ある時は憎悪し、またある時は歓喜にむせぶ。心は振幅し続け落ち着くことがない。妄りに分別心が働いて、常に損得勘定ばかりしている。迷い、更に酔っ払っているようなもの。泥酔し夢を見ているがごとき常態。かくのごとくランナーズハイに似て、我を失っているのは、誰しも同様だ。
未だ悟りの境地に達していなくとも、あらゆる縁を断ち切って閑居し、何事何物にも依存することなしに心穏やかに暮らしていれば、例え仮の宿と云ってもそれなりに愉快な人生を送ることが出来るはずなのだが。生活、人間関係、仕事、学問、そういった類いはすべからく修行の妨げとなるべし、すぐさまぶった切れ、と摩訶止観にもありますぞ。

註釈

○酔へり
読みは「ゑへり」。

○生活
読みは「しょうかつ」。

○摩訶止観
天台宗の聖典。


引き続き、こちらも三回お読みください。
心に響くものがなければ、所詮「徒然草」とは無縁です。

追記
猫は修行の邪魔にはなりませんよ(たぶん)。


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